日本球界のレジェンド選手・山本昌の凄さ

最終更新日 2024年4月2日

⒈山本昌の凄さ

2015年に現役を引退をした山本昌は、日本のプロ野球界で前人未到の50歳で試合出場と登板を果たしたレジェンド選手です。
1983年のドラフト会議で中日ドラゴンズからドラフト5位指名を受けてプロ入りし、その後2015年までドラゴンズ一筋で活躍したことで、同一球団在籍記録の日本記録保持者となっています。

また、プロ野球選手として長く一線級で活躍してきたこともあり、先発勝利や奪三振など投手としての最年長記録を数多く持っているばかりか、バッティングの良さにも定評があった選手でもあるため安打や打点という部門でも最年長記録を持っています。

219勝を挙げ名球会入りを果たしているうえに、最多勝3回・最優秀防御率・最多奪三振も獲得、さらには沢村賞も獲得した実績があることから、山本昌の現役時代を知らない若い世代の方にとってはどんな豪腕投手なんだろうと考える方も多いかもしれません。

⒉スクリューボールを得意とする技巧派投手

しかし、山本昌はストレートが140km/hそこそこしか出ない技巧派投手なのです。
得意としている球種はスクリューボールで、カーブやスライダーを交えながら抜群のコントロールを駆使して、プロ野球選手としては遅過ぎるストレートを速く見せる技術力に長けた投手でした。

ただ、こういった数多くの記録を持つ投手であっても、プロ入り直後から活躍できたわけではありません。
プロ入り後4シーズンは1勝も挙げることができず、いつ戦力外通告をされてもおかしくない存在だったのです。

そんな戦力外一歩手前のプロ野球選手が転機を迎えたのは、1988年にロサンゼルス・ドジャースの1Aのチームであるベロビーチ・ドジャースに所属することになりドジャースで世話役をしていたアイク生原と出会いでした。

この出会いでさらに貪欲に野球に取り組むようになった山本昌は、それ以降は自身の代名詞とも言えるスクリューボールをマスターし、1Aのオールスター戦にまで選出されるようになったのです。

⒊無傷の5連勝を記録しドラゴンズをリーグ優勝へと導いた

そして、その活躍ぶりを見た星野監督が日本に呼び戻し、無傷の5連勝を記録しドラゴンズをリーグ優勝へと導きました。
それ以降は長年に渡ってドラゴンズの先発ローテーションの一角を担い、2006年には41歳でノーヒットノーランを達成するなどタフネスぶりを発揮したのです。

ただ、翌年には大きく成績を落とし引退が囁かれましたが、2008年には見事に二桁勝利を挙げ、どこまで投げ続けることができるのか注目されるようになっていったのです。

それ以降は勝ち星こそ減りましたが、45歳で完投・完封勝利を記録するなど中年の星として輝きを見せました。
おそらく、山本昌の数多くの最年長記録を破る選手は現れないことでしょう。